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江田島について
●位置−観光案内図
江田島は、広島湾の中心に位置し、東西約5、5キロ、南北約12キロ、周囲約36、8キロの島で、南は佐伯郡能美島大柿町と陸続きで接している。
北は、海上約8、3キロを隔てて広島市と向かい合い、高速艇で江田島切串港から広島宇品港まで14分、小用港から宇品港まで20分、フェリーボートで切串港から宇品港まで30分で結ばれている。
東は、海上約6、5キロを隔てて呉市と相対し、小用港から呉港までフェリーボートで20分で結ばれている。
なお、南部陸続きで早瀬大橋、音戸大橋を経て本土と結ばれている。
●沿革
古代の江田島(約1千年前)は、安摩庄に属し、わずかな漁民が住んでいたが、戦国時代(約500年前)から落武者や庶民が渡り住んで先住民ととともに浦々を開いたようです。
当時の四国の河野秀清は細川頼之に敗れて能美島の松尾山にその弟の通重は江田島亀山(鷲部)に逃れて、江田島全島を押領し、後に姓を吉原、更に久枝と改めて明治初年まで代々庄屋を務めた。
明治5年に庄屋は戸長と呼ばれ公選となった(戸数1378、人口7652) 。
明治19年呉に第二海軍鎮守府が創設されてまもなく、21年8月に海軍兵学校が東京築地から移転開校され、日本海軍士官養成の学校が設置されたことにより、一寒村であった江田島は、一躍世界にその名を知られるようになった(戸数1718、人口9820)。
明治28年呉海軍工廠開設に次いで秋月火薬庫などが設置された。
昭和12年日華事変の勃発に伴って、海軍兵学校は矢の浦、大原地区などを埋立拡張して校地は倍加し、切串には呉工廠火工部、弾薬庫などが、その他全島至る所に各種の軍施設が増設されて、江田島は一大要塞地帯となった(戸数3651、人口16372)。
昭和20年10月から外国軍隊が進駐して「海軍の島」は「基地の島」に一変した(戸数4341、人口19335)。
昭和26年10月1日江田島町として発足(戸数4721、人口20216)。
●町制50年史
昭和29年 3月   小用、鷲部に公衆電話開設
昭和31年 1月   米軍キャンプ跡に海上自衛隊術科学校が横須賀から移転
昭和32年 5月   海上自衛隊幹部候補生学校を術科学校に併設
昭和36年 12月   音戸大橋開通
昭和43年 4月   小学校3校を統合し、江田島小学校に。
昭和46年 7月   中国化薬江田島工場大爆発(53名重軽傷)
昭和47年 4月   三津田高校江田島分校が江田島高等学校に。
昭和48年 1月   小用〜広島間高速艇就航
昭和48年 10月   早瀬大橋完成
昭和48年 6月   古鷹山 山火事3日間で1000ha焼失
昭和61年 9月   ワールドトライアスロンインひろしま大会を開催
昭和61年 10月   初代ミス江田島3名が誕生
昭和63年 9月   海軍兵学校開校100周年記念行事
平成  3年 9月   台風19号により大被害
平成  5年 4月   「ふるさと交流館」開館
平成13年 3月   江能4町長が合併協議会設置(平成17年 市に昇格)
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