| ●沿革 |
| 古代の江田島(約1千年前)は、安摩庄に属し、わずかな漁民が住んでいたが、戦国時代(約500年前)から落武者や庶民が渡り住んで先住民ととともに浦々を開いたようです。
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| 当時の四国の河野秀清は細川頼之に敗れて能美島の松尾山にその弟の通重は江田島亀山(鷲部)に逃れて、江田島全島を押領し、後に姓を吉原、更に久枝と改めて明治初年まで代々庄屋を務めた。
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| 明治5年に庄屋は戸長と呼ばれ公選となった(戸数1378、人口7652)
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| 明治19年呉に第二海軍鎮守府が創設されてまもなく、21年8月に海軍兵学校が東京築地から移転開校され、日本海軍士官養成の学校が設置されたことにより、一寒村であった江田島は、一躍世界にその名を知られるようになった(戸数1718、人口9820)。
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| 明治28年呉海軍工廠開設に次いで秋月火薬庫などが設置された。
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| 昭和12年日華事変の勃発に伴って、海軍兵学校は矢の浦、大原地区などを埋立拡張して校地は倍加し、切串には呉工廠火工部、弾薬庫などが、その他全島至る所に各種の軍施設が増設されて、江田島は一大要塞地帯となった(戸数3651、人口16372)。
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| 昭和20年10月から外国軍隊が進駐して「海軍の島」は「基地の島」に一変した(戸数4341、人口19335)。
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| 昭和26年10月1日江田島町として発足(戸数4721、人口20216)。 |