| 戦後10年間は、連合軍が使用、1956年(昭和31)連合軍から返還され、横須賀から海上自衛隊術科学校が移転し、翌年幹部候補生学校、第1術科学校となり、現在に至る。 |
| [世界三大兵学校のひとつが、なぜこの僻遠の地江田島に・・・・・] |
| 1886年(明治19)、呉に鎮守府を置くことに決定した流れの中で、瀬戸内海でも数少ない内湾で、水深もあり鏡のような波静かな江田島湾、純朴な島民気質、寒村であるが故に教育に最適の地として、当時の関係者に閃きのごとく「ここしかない」と決断させたものであろう。 |
| 終戦まで海軍兵学校は、全国の若者の憧れの的であった。 |
| 五省、江田島健児の歌、恵まれた環境と自然、四季。 |
| ここに青春を燃焼した人たちのことを思う。 |
| その歳月を偲んで、いまも連日訪れる人々の姿が絶えない。 |